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文化を築く「十大弟子」

「二重橋の十大弟子」
釈尊の時代に生を受け、釈尊の教えに直接触れて感動され、共に歩まれた十人の弟子。釈尊がおられたからこそ、仏教があり、十大弟子の実践があったからこそ、その後の仏教興隆があります。私たちのお手本として、身近な存在である御弟子方に思いを馳せて。釈尊の十大弟子のブロンズ像が、二重橋の上に寂かに座して、人々を智慧の殿堂へと導きます。

智慧第一 舎利弗尊者
舎利弗尊者は十大弟子の中でも、智慧第一と讃えられる、最も高名な方です。
聡明だった彼は、釈尊に弟子入りするや、仏教史上に燦然と輝く大事業、「祇園精舎建立」の総責任者を任され、須逹多長者と共に、精舎を建立を達成されました。

神通第一 目連尊者
舎利弗尊者と共に、教団の柱となった目連尊者は、あらゆる神通力を身につけていました。未来を知り、自由自在に空を飛び、姿を消せる…。誰もがうらやむ能力を身につけていたのですが、外道に何度も命を狙われました。それは自らの過去世の「業」が原因であることを悟り、最後は自らの意志で神通力を封じ、あえて外道に撲殺されて「業」を果たしたといわれています。

頭陀第一 摩訶迦葉尊者
大富豪の家に生まれた摩訶迦葉尊者は、求めに求め抜いて、ついに師、釈尊と出遇うことができました。頭陀(少欲知足)第一と称され、山林にこもり、自らの修行に没頭していましたが、釈尊御入滅後は、教団の中心となり、結集(経典編纂会議)を開催しましました。今に、仏教が残っているのは、この結集のお蔭です。

解空第一 須菩提尊者
「諸法皆空」、あらゆるものは空であり実体がないという真理を、誰よりもよく理解したことから「解空第一」と称されました。さらに、一切の執着を捨て去り、思いやりの心を大切にされました。そうして、他人と争わないことから「無諍第一」と呼ばれ、多くの人々から尊敬され供養を受けたことから「被供養第一」とも呼ばれました。

説法第一 富楼那弥多羅尼子尊者
大変な雄弁家で、説法は弟子の中でも群を抜いていました。インド西方の教化にあたっては、釈尊と交わした求道の問答の末、尊者の決意に感心された釈尊は、西方伝道を許可されたとも伝えられています。心からの弁舌で人々を仏の道へと導き、仏教興隆の大きな柱となりました。

論義第一 摩訶迦旃延尊者
西インドのアバンティ国出身で、毅然とした姿勢で 国王を仏教に導きました。仏の教えを詳細に解説する第一人者で、「一夜賢者の偈」が有名です。
「過去を追うな。未来を願うな。過去は、すでに捨てられたものだ。そして、未来はいまだ到来せず。それ故、ただ現在のものを、それがあるところにおいて観察し、揺らぐことなく、動ずることなく、よく見きわめて、実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。誰が明日、死のあることを知っているだろうか。まことに、かの死神の大軍と遭わずにすむはずがない。このように見きわめて、熱心に昼夜おこたることなく努める者。かかる人を一夜賢者といい、寂静者、寂黙者というのである」

天眼第一 阿那律尊者
釈尊の説法中に居眠りをして叱責をうけ、自らの行いを恥じ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ってしまいました。しかし、真理を見る眼(天眼)を得て「天眼第一」と仰がれるに至りました。「恥じる心」のことを、仏教では「慚愧」といい、強く戒められています。

持律第一 優波離尊者
インドの階級制度において最下位の身分に生まれながら、釈尊の教団の中で、高弟として活躍し、「持律第一」と仰がれるほどに敬われました。それは、教団の一人一人に対する温かい心配りがあったからでした。戒律にのっとり、弟子たちを善き方向へと導かれました。

密行第一 羅睺羅尊者
釈尊の御子息であり、釈尊が悟りを得て帰国した際に出家して、最初の沙弥(少年僧)となりました。慢心と闘い、奢ることなく、人知れず努力し、戒律の微細な規則まで厳密に守り「密行」を完成することができました。

多聞第一 阿難尊者
釈尊の従者として、25 年間お仕えし、説法を最も多く聴聞されました。しかし、肝心の「悟り」を開くことができたのは、釈尊が涅槃に入られて後、七葉窟で開催された結集の直前でした。記憶力に優れ、経典の編纂には、阿難尊者の記憶に基づいて経典編纂会議がまとめていかれました。